ウィリアム・モリスの「モダンデザイン」・・・
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https://ja.wikipedia.org/wiki/ウィリアム・モリス
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジェーン・モリス(旧姓バーデン)
https://ja.wikipedia.org/wi。ki/ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ

https://ja.wikipedia.org/wiki/レッド・ハウス
https://en.wikipedia.org/wiki/Red_House,_Bexleyheath
(イングランドのベクスリヒースに、モリスによっ建てられた「アーツ・アンド・クラフツ」の原点となったカントリー・ハウス)
ベクスリーヒース駅→レッド・ハウス|Google マップ

(1834年〜1896年)
ロンドンの南東に建てられたモリス自邸の「赤い家」"Red House" は、1860年から妻ジェーンとの新婚時代の約5年間を過ごし・・・
"Have nothing in your house that you do not know to be useful, or believe to be beautiful."
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「役に立たないものや、美しいと思わないものを家に置いてはならない」
と述べ、1961年にこの家の調度品を製作するための、モリス・マーシャル・フォークナー商会を設立し「モダンデザインの父」への階段を登って行く・・・

イギリスのヴィクトリア朝の時代の、1765年、ジェームズ・ワットが蒸気機関車を動かし、社会構造の変革が進み、イギリスに始まる産業革命の結果として大量生産による安価で、しかも粗悪な商品があふれていた・・・
モリスはこうした状況を批判して、中世の手仕事の良さをを取り入れ、生活と芸術を統一することを主張し、工業製品に上質な美を折り込む「モリス商会」を設立し、装飾された書籍(ケルムスコット・プレス)やインテリア製品(壁紙や家具、ステンドグラス)などを製作し、生活と芸術を一致させようとしたモリスの思想は、ヨーロッパ各地に大きな刺激を与え、アール・ヌーヴォー/ウィーン分離派/ユーゲント・シュティールなど各国の美術運動に発展する・・・


聖職者になることを志し、オックスフォード大学に入学し、当時の新進社会評論家トマス・カーライルやジョン・ラスキンの著書に感銘を受け、建築・美術・文学などの芸術家を志す・・・
当時イギリスでは、ロイヤル・アカデミー付属美術学校の学生であったダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ/ウィリアム・ホルマン・ハント/ジョン・エヴァレット・ミレイの3人たちは、ルネサンス期のラファエロの絵画に固執し、それ以外の新しい表現を認めない学校の方針に不満を抱き1848年に、美術批評家であったジョン・ラスキンの影響もあって、中世や初期ルネサンスの芸術を範とした 「ラファエロ以前兄弟団」" Pre-Raphaelite Brotherhood"と言える秘密結社のような集団「ラファエル前派」を結成する・・・

「ピンパーネル(るりはこべ)the Scarlet Pimpernel」
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1856年にモリスは芸術と詩の雑誌「Oxford and Cambridge Magazine」を出版に執筆の依頼に訪れ「ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ」と、「ラファエル前派」ではミューズ的存在のロセッティのモデルだった「ジェーン・バーデン:Jane Burden」に出会う・・・
この執筆をきっかけに三人は友人となり、その後モリスはジェーン・バーデンに恋し、1859年に結婚、翌年フィリップ・ウェッブ設計の新居・レッド・ハウス(赤い家、1860年)に移る・・・
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Jane Morris 旧姓バーデン(Burden)
「ジェーン・モリス」(1834年〜1896年)
貧しい馬丁の娘だった”ジェーン・バーデン”は、オックスフォードで芝居を観劇していた時、ちょうど劇場に来ていたロセッティとバーン=ジョーンズ に見出され、そのエキゾチックな美貌によって、ラファエル前派の画家たちを魅了し、絵のモデルを務め彼らのミューズ的存在となっていた・・・

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ロセッティは1828年、ロンドンのシャーロット・ストリートでイタリア系移民の子として生まれ、1846年、ロンドンのロイヤル・アカデミー付属美術学校に入学。1848年、同校の学生であったウィリアム・ホルマン・ハント(1827年 - 1910年)、ジョン・エヴァレット・ミレー(1829年 - 1896年)らとともに「ラファエル前派」(Pre-Raphaelite Brotherhood)を結成した。ロセッティは、他のラファエル前派の画家たち同様、聖書、伝説、文学などに題材を求め、装飾的・耽美的な画面構成の作品を多く描いた・・・

「ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ」(1828年〜1882年)
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当時、ロセッティはエリザベス・シダルと婚約していたが、ロセッティとジェーンは互いに惹かれ、ロセッティの作品にはしばしばジェーンがモデルとして登場する。ジェーンはロセッティの弟子にあたるモリスと結婚し、ロセッティは婚約者のエリザベスと結婚したが、人妻になったジェーンに対する思慕は止むことはなく、冷え切った夫婦関係や女児の死産にエリザベスは、薬(阿片チンキ、クロラールという鎮痛麻酔剤の一種)に溺れるようになり、結婚2年目に、大量の薬を服用して自殺同然の死を遂る・・・
その後、ロセッティは人妻への思慕と自分の妻への罪悪感にさいなまれ、酒と薬(阿片チンキ)に溺れ1882年、54歳の生涯を終えた・・・
親密さの程度は変化したが、その三角関係は1882年のロセッティの死まで続いたと考えられている。
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モリスは1878年に、テムズ川沿いの「ケルムスコット・ハウス(Kelmscott House)」に移り住み、
この事について多くを語らず、工芸デザイナーで、詩人・文筆家でもあり、
社会主義者として1896年、62歳の人生を閉じる。
ジェーンも、1914年バースのブロック・ストリート5番地に滞在中に75歳で死去した・・・
![]() "Proserpine/Proserpina" ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ作|1874年|カンバスに油彩|125.1 cm × 61 cm テート・ブリテン、ロンドン|Tate Britain, London ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ:Dante Gabriel Rossetti(1828年〜1882年) |

1851年、近代の工業技術とデザインの祝典として、ロンドン万国博覧会が催され、鉄とガラスで出来た「水晶宮」が人気を博した・・・
それは近代の工業技術が、芸術・工業・商業振興のため、未来に向けて大きく歩み出し、1862年の第2回ロンドン万国博覧会でもウィリアム・モリスの装飾芸術会社Morris, Marshall, Faulkner & Co. により展示された作品は多くの注目を集めた・・・
そして、人々が創り出す音楽、文学、美術、それらの主役も大衆へと軸を移し、フランスでは1872年に印象派が生まれ、貴族から庶民へ「美」は大衆に浸透する・・・
それらはより自由で闊達な大衆によって加速し、パリのファッション界も大衆化したブランドが登場。大量生産、大量消費の波が、街の隅々にそして日々の衣食住の全てを大きく様変わりさせる・・・
それは今の社会も同様に、昨今のデジタル社会の進化で、今の我々の生活も大きく今まで以上に日々の生活様式を変えて行くかもしれない・・・

人とモノの歴史は古い・・・
一つ一つハンドメイドで、物を創り出していた時代から、機械による工業生産に進化しても、
人間が「美しい」を感じ、それを求め、使い分ける動物である以上、
時代がいかに進化しても、人とモノを埋める間に「美しい」が存在し、
その「美しい」を折り込むことは人類にとって当然の行為であり永遠に終わることはない・・・
William Morris(ウィリアム・モリス)はその流れの、特に重要な1ページを開いた・・・

↑ 出典・マナトレーディング株式会社/MANAS TRADING INC.
https://www.manas.co.jp/business-user/imported-brand/william-morris/
https://www.stylelibrary.com/morris&co/
(以下・参考サイト)
https://ja.wikipedia.org/wiki/アーツ・アンド・クラフツ運動
レッド・ハウス
https://ja.wikipedia.org/wiki/レッド・ハウス
https://en.wikipedia.org/wiki/Red_House,_Bexleyheath
ウィリアム・モリスの自邸「レッドハウス」の行き方と見所をご紹介、の巻
https://tabiniwa.com/red-house-william-morris/
https://honz.jp/articles/-/43094
http://blog.livedoor.jp/asongotoh/archives/51191703.html
Kelmscott House, Hammersmith: A Brief Guide
ケルムスコット・ハウスのご案内
http://morrissociety.org/worldwide/JAPAN/japan_kelmscott.html
ロンドンの美術館・博物館に行こう!
https://morrisworld.jp/morris-co/place/
Kelmscott Manor
https://www.sal.org.uk/kelmscott-manor/
https://en.wikipedia.org/wiki/Kelmscott_Manor
https://blog.goo.ne.jp/2828_november/e/f9a2b7b85ed05982f45957a4e910325b
https://ja.wikipedia.org/wiki/ラファエル前派
https://ja.wikipedia.org/wiki/ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ
https://ja.wikipedia.org/wiki/プロセルピナ_(ロセッティ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョン・エヴァレット・ミレー
http://blog.livedoor.jp/kokinora/archives/1036798262.html
3分でわかるダンテ・ガブリエル・ロセッティ(1)
http://blog.livedoor.jp/kokinora/archives/1036989794.html
http://blog.livedoor.jp/kokinora/archives/1037307536.html
http://blog.livedoor.jp/kokinora/archives/1037307980.html
産業革命(さんぎょうかくめい、英: Industrial Revolution)は、18世紀半ばから19世紀にかけて起こった一連の産業の変革と、それにともなう社会構造の変革のことである・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/産業革命
https://ja.wikipedia.org/wiki/印象派
世界で最初の国際博覧会であり、19世紀の一大人気イベントとなった。もしくは水晶宮博覧会とも呼ばれる・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/ロンドン万国博覧会_(1851年)
ウィリアム・モリスの装飾芸術会社Morris, Marshall, Faulkner & Co. により展示された作品は多くの注目を集めた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ロンドン万国博覧会_(1862年)
『印象・日の出』 は、クロード・モネが1872年に描いた絵画。印象派の名前の由来となる美術史上、重要な意味を持つ作品である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/印象派
https://www.manas.co.jp/business-user/imported-brand/william-morris/
https://www.stylelibrary.com/morris&co/
美術手帖|ウィリアム・モリス
https://bijutsutecho.com/artists/210
https://bijutsutecho.com/exhibitions/5765
サンダーソンアーカイブ
https://www.hankyu-dept.co.jp/honten/style/new/03/00679747/?catCode=109001&subCode=109103
https://www.manas.co.jp/business-user/imported-brand/sanderson/
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