北宋・张择端の「清明上河図」の日々・・・
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時代は素晴らしい名画を生んだ。その描き手は時代だったのだろうか?
それは、橋脚を使わず橋の下を船が通り抜けられるようにアーチ型の木組みだけで支えられた虹橋の、春のお墓詣りの清明節頃の北宋の都(汴京:べんけい/河南省開封かいほうの古称)の春の賑わい・・・
時は12世紀、中國の北宋末期・・・
登場人物773人余り、船20隻、動物80頭余り、縦24センチ、全長約5メートルの画面のなかから、街の喧騒が聞こえてくるような墨画の淡彩の巻物が、北京の故宮博物院に残っている・・・
北宋期の首都「開封:かいほう」(汴京:べんけい/は開封かいほうの古称)|开封市|河南省|中華人民共和国
北宋(ほくそう、拼音:Bĕisòng、960年〜1127年)は・・・
「清明上河図」(せいめいじょうがず)全体 登場人物550人|船20隻|動物80頭余り|墨画 淡彩|21.8x 528 cm "Along the River During the Qingming Festival, detail of the original version showing wooden bridge" ↑(全体)12世紀 (北宋末期) |張択端:ちょたくたん (中国語:张择端) |北京・故宮博物院蔵 ↓(以下サイトで全体がご覧になれます・・・) https://en.wikipedia.org/wiki/Zhang_Zeduan https://ja.wikipedia.org/wiki/清明上河図 中国北宋の都開封の都城内外の殷賑(にぎわい栄えた)の様を描いた画巻・・・ オリジナルは北京・故宮博物院に所蔵されているが、類作が数多く伝わっている・・・ 北宋末期の翰林待詔であり、画家としても著名であった張択端(中国語:张择端)の作品とされる。 中国、北宋時代の都「汴京:べんけい」、季節は、春たけなわであり、 都の東京開封府の内外の人士が行楽して繁栄する様子を描いている。 その絵画的な精細描写の価値とともに、当時の市街図や風俗図として、極めて資料的価値も高い・・・ .............................................................................. Zhang Zeduan:张择端(ちょたくたん)1085年〜1145年 |
描いたのは、张择端(ちょうたくたん:Zhang Ze-duan/1085年~1145年)・・・
北宋の宮廷画家であったということ以外、詳しいことはほとんどわからない謎の画家。北宋の都(汴京:べんけい/河南省開封かいほうの古称)を流れる汴河(べんが)に沿って、市民の生活が衣食住にいたるまで細かに描かれ、その宋代の風俗は北宋文化の絶頂期の徽宗(きそう)皇帝(1082年:元豊5年〜1135年:紹興5年)の頃に描かれたとされ、さまざまな人々が住む宋の都の日々・・・
「運河」
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長安から黄河を結び、北宋の首都汴州(開封)を基点に長江を経て杭州を結ぶ運河の建設は、隋の煬帝が「通済渠(つうさいきょ)」を、605年にが黄河〜淮水を結び、基点となった汴州(開封)に江南の物資が運ばれ経済の中心地として栄え「宋」の首都となり、下流への「江南河(こうなんが)」も隋の煬帝が610年に建設、長江(下流の揚子江)流域の揚州と浙江省の杭州を結ぶ運河が出来上がり、これによって長江デルタ地帯と遠く長安が水路で結ばれることとなった。大運河は中国の南北を結ぶ重要な物資輸送手段となり、この絵に描かれている重要な起点の、汴州(開封)の賑っている虹橋の様子が描かれている・・・
「火薬・羅針盤・活版印刷」
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火薬は1132年に金との戦争中に宋が使用したとされる。硝石・硫黄・木炭を混合した黒色火薬は、竹に火薬を詰めた物を長い柄の先に取り付けり、竹筒に火薬を詰めて矢を飛ばすという簡単な火矢に使われ火槍(かそう)が生まれ、本格的な武器として発展する・・・
北宋時代には羅針盤が発明さ、中国商人達の「海の道」を通り、ジャンク船で陶磁器を運び、イスラーム商人と取引をした。また北宋の1034~1038年に、畢昇が(ひっしょう)が土を固めた土製の膠泥(こうでい)活字をを考案、後に木製になり、1221年には木活字で科挙受験用の百科辞書が作られている・・・
「茶館」
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中国の茶館は8世紀の唐代に始まり、宋代には「茶坊」「茶楼」などとして繁盛した。龍鳳茶を代表とする精細な製茶工程が生まれ、闘茶と云われる、葉の質の優劣を定める技法が進化、茶を淹れる技法も流行する。宋代ではお客さんにお茶を飲む茶館が隆盛し、茶楼、茶亭、茶肆、茶坊、茶室、茶居などと呼ばれ、飲茶が普及したため、 陶磁器の需要が大幅に増えて生産が盛んとなり、その器の「宋磁」(そうじ)が完成し、宋の焼き物は極点に達する・・・
それにつれ、居酒屋,麺店,果物,絹,毛織物,香りのする蝋燭,醤油,米,副菜の魚肉,干し肉等などの店が発展する・・・
「宋磁」(そうじ)
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宋代に飲茶が普及したため、 陶磁器の需要が大幅に増え、生産が盛んとなった。当時は、宋磁は中国を代表する工芸品・貿易品であった。宋代の陶磁器は朝鮮・日本など周辺諸国にももたらされ、大きな影響を与え、特に盛んになった白磁、青磁の陶磁器は、さらに洗練され、形も壺や花瓶だけでなく、飲茶用の茶碗や食器用の
名品が多数生産された。産地としては河南省の汝窯(じょよう)、鈞(きん)窯、江西省の景徳鎮窯などが有名・・・
皇帝や士大夫といった文人達の高貴かつ清逸な美意識が入り、色彩に変化を凝らした絵付陶磁も生み出され、それらには一般庶民の生活に根ざし活気に溢れている・・・
「三大奇書」
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中国の奇書の『三国志演義』『西遊記』『水滸伝』の原型は宋代の盛り場で生まれた。都市の盛り場で流行した講談のテキストを話本と呼び、一般には特にその講談のなかの歴史物、いわゆる講史のの歴史説話。講釈師が口演の際、評話をところどころはさんだところからこの名がある。何回も読み継がれることが多く、素朴ななかに史上の諸人物に対する庶民の評価や愛憎がこめられている。現存する最古の平話である元の至治年間の『全相平話』五種のうち、『三国志平話』が羅貫中の『三国志演義』『武王伐紂書』が隆西星の『封神 (ほうしん) 演義』に発展するなど、後世の歴史小説に影響を与えた・・・
「徽宗」(きそう皇帝:1082年:元豊5年~1135年:紹興5年)
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文人、画人としての徽宗はその才能が高く評価され、痩金体(痩金は徽宗の号)と称される独特の書体を創出し、絵画では写実的な院体画を完成し「風流天子」と称された。現在、徽宗の真筆は極めて貴重な文化財となっており、日本にある『桃鳩図』は国宝に指定されている。
一方で政治的には無能で、彼の治世には人民は悪政に苦しみ、『水滸伝』のモデルになった宋江の乱など、地方反乱が頻発し、方臘の乱を初めとした民衆反乱が続発した。これをモデルにした講談から発展して誕生したのが『水滸伝』である・・・
(徽宗(きそう)皇帝 絹本著色桃鳩図)→
1126年(靖康元年)「金」の軍は開封を陥落させ、
徽宗は子供の欽宗らと共に「金」に連行され(靖康の変)・・・
1135年(紹興5年)「徽宗」は五国城(現在の黒竜江省依蘭県)で54歳で死去した・・・
その後、汴河(べんが)や「汴京城」は黄河の氾濫で、
今は深さ12メートルの泥の底に眠っているらしい・・・
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↓ 北宋「汴京城」
人は生まれ必ず死ぬ、その生涯において、楽しく笑らえる日々の無い一生は、
余りにも悲しすぎ、哀れであり、不幸と言える・・・
イスラエルの70年余の紛争の日々で、生まれてから死ぬまでボロボロの町並みを彷徨い、
一生を終えた人が「生まれて死ぬまで戦争だった」と、それは人生として余りにも不幸すぎる・・・
昨今の世界の至る所で起きている、戦争、内乱、紛争で家を失い、国を逃れ当ての無い日々に、
ペスト、やコロナなどの感染症と何が起こるか、災いは尽きない。
今からざっと840年余の昔々・・・
北宋の都・汴京の街、この絵の中から至る所から聞こえてくる笑い声、
永遠に、時代と共に生きる楽しい日々を望み、
张择端はこの絵を通し、それを後世の人々に語り伝えたかったに違いない・・・
(以下・参考サイト)
北宋 は、中国の王朝。趙匡胤が五代最後の後周から禅譲を受けて建てた。国号は宋であるが、金に開封を追われて南遷した後の南宋と区別して北宋と呼び分けている。北宋期の首都は開封であった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/北宋
宋は12世紀前半、北方のツングース系のジュシェン(女真)族が打ち立てた金王朝によって首都の開封を奪われ、南下して臨安(現杭州)で政権を再興します。これ以降の宋は、南宋と呼ばれますが、その体制の確立に尽力したのが秦檜という宰相です。
https://www.teikokushoin.co.jp/journals/history_world/pdf/201602g/01_hswhbl_2016_02g_all.pdf
1126~27年の靖康の変で東北地方に興った女真の金に占領され、北宋が滅亡してから開封の衰退が始まった。北宋の残存勢力は南方に逃れて建国した南宋は、1138年に長江下流の臨安(杭州)を都とし、金は1153年に都を燕京(現在の北京)に移したので、開封は政治的中心地ではなくなった
https://www.y-history.net/appendix/wh0303-034.html
南宋 は、中国の王朝の一つ。趙匡胤が建国した北宋が、女真族の金に華北を奪われた後、南遷して淮河以南の地に再興した政権。首都は臨安(杭州市)であった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/南宋
https://ja.wikipedia.org/wiki/清明上河図
「清明上河図」の作品展示は、1月24日(火)で終了しました。1月25日(水)以降は、同作品の複製品(印刷)を 展示しています。
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1445
大運河(中国の運河)
https://ja.wikipedia.org/wiki/京杭大運河
https://www.y-history.net/appendix/wh0302-007.html
漕運(そううん)は、広義では中国及び日本・朝鮮などの周辺諸国で用いられた水運一般の意味であるが、狭義では中国王朝のもとで官が自然河川・人工運河・海上交通を利用して米・秣・絹・粟などといった物資を輸送する行為を指す。
五代の王朝及び北宋が汴河と大運河の接点に近い汴京(開封)に首都を置いた理由は、この教訓に学んで食糧・租税の搬入の便に優れた地点を求めたことにあった。
汴京には、規定により国初は年間400万石、真宗期には600万石の輸送が行われることになっていたが、最盛期には800万石まで輸送が行われた・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/漕運
https://ja.wikipedia.org/wiki/火薬
https://ja.wikipedia.org/wiki/方位磁針
http://chugokugo-script.net/rekishi/rashinban.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/活版印刷
徽宗(きそう)・北宋の第8代皇帝
書画の才に優れ、北宋最高の芸術家の一人と言われ、皇帝として風流天子と言われた。一方で政治的には無能で、彼の治世には人民は悪政に苦しみ、水滸伝のモデルになった宋江の乱など、地方反乱が頻発し、その悪政ぶりは未来に「水滸伝」の元ネタにされている・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/徽宗
https://www.y-history.net/appendix/wh0303-056_1.html
桃鳩図(ももはとず、「とうきゅうず」とも)は、宋の皇帝徽宗の筆
https://ja.wikipedia.org/wiki/桃鳩図
https://ja.wikipedia.org/wiki/太平天国天王府跡
宋磁(そうじ)は、中国の宋代に普及した磁器。
宋代には飲茶が普及したため、陶磁器の需要が大幅に増え、生産が盛んとなった。当時は、宋磁は中国を代表する工芸品・貿易品であった。主に青磁や白磁で作られている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/宋磁
宋代に盛んになった白磁、青磁の陶磁器。
宋代は中国の陶磁器の歴史の中で、最も変化に富んだ、また盛んになった時代だった。唐代に盛んになった磁器の白磁・青磁がさらに洗練され、形も壺や花瓶だけでなく、飲茶用の茶碗や食器用の皿などに広がり、後の窯業の中心地の一つである景徳鎮もこの時代(1004年)に始まった。これらを総称して宋磁と言っている。宋代の陶磁器は朝鮮・日本など周辺諸国にももたらされ、大きな影響を与えた。宋代の陶磁器は白磁・青磁が有名であるが、他に飲茶用の黒釉の椀、建盞(けんさん。日本にも輸入され、茶人が愛好し、天目茶碗と言った)も知られている
https://www.y-history.net/appendix/wh0303-081_0.html
宋磁 神秘のやきもの
https://blog.kenfru.xyz/entry/2018/05/24/宋磁_神秘のやきもの
https://ja.wikipedia.org/wiki/中国の茶の文化
http://chugokugo-script.net/ocha/chugokucha.html
3.茶文化の隆盛期(宋代)
https://www.tian-xiang.jp/user_data/history9.php
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